こんにちは、ときです。
私が高校生の頃、実母が更年期障害になりました。そしてちょうどそのタイミングで長年パートで勤めていた会社の経営状況が悪くなり、ある日突然リストラにあいました。それをきっかけに母はうつ状態になり、約5年ほど大変な毎日でした。
私も高校生から社会人に向けての多感な時期だったので、漠然とした自分の将来への不安と目の前にいる苦しそうな母の姿にとても悩みました。
今は母の状態も安定しており、家族も穏やかに過ごせています。この記事では当時を振り返り家族のうつがほかの家族にどのような影響を与えるのか、また、苦しむ家族のために出来ることはあるのか…などについて書いていきたいと思います。
真冬のどんなに寒い日でも家族の中で母だけ「暑い暑い」と顔の汗を拭いていました。更年期障害の症状の一つに”ホットフラッシュ”という火照りやのぼせがあります。当時、母が「暑いわ~更年期だからかな~」とよく軽い感じで言っていたのを覚えています。
もともと病院が大嫌いな母は、更年期障害の症状が出始めていても病院に行こうとはせず、市販のサプリを飲んだりしながら日々過ごしていましたが、なかなか改善されないどころかどんどん酷くなっていきました。
「しんどい~」「疲れた~」が口癖のようになり、横になっている時間も増えました。でも日中はパートに出ており、仕事はとても楽しそうに行っていましたし、職場の話もよく聞いていました。時には職場の仲の良いメンバーを家に呼びワイワイ飲み会を開いたり、楽しい職場なのが子どもの私にもとてもよく伝わりました。
そんな風に更年期障害の症状が出てきつつも、仕事を楽しそうにする母に異変が起きたのはリストラがきっかけでした…
突然のリストラ…失ったのは仕事だけではなかった
勤め先の会社の経営が傾いているという噂を耳にするようになった母。我が家は決して裕福ではないので父の収入だけでやっていけるのかという不安。そして何より、日々の生きがいである仕事を失うことへの不安が大きかったと思います。
そんな不安を抱えていたある日、無情にも会社よりパート・アルバイトを全員を切りますと通達が来ました。
何度か母の職場に遊びに行ったことがありましたが、母の仕事に対する姿勢は娘の私から見てもとても尊敬するかっこいいものでした。もともと接客業についていたこともあり、お客様とのやり取りやスタッフ間のコミュニケーションの取り方など、人見知りの私には真似できない憧れ・目標でもありました。
母自身も、プライドや自身の接客スキルを自負していた部分もあったのだと思います。それがいきなりのリストラで、母の中で失ったものは仕事だけではなく、精神的な大事なものの方が大きかったように感じます。
仕事に行かなくなった日からしばらく落ち込み続け、母は徐々にメンタルを崩し始めました
母の不調は家庭内にダイレクトに影響する
母は少しずつ少しずつメンタルを崩していきました。もともと笑顔が多い明るい面白い母だったので無表情で覇気のない母に違和感を感じるのに時間はかかりませんでした。
当時社会人1年目だった私は、新生活での環境の変化に対応するのに必死で、母への違和感を覚えつつも自分のことで精一杯で母に対してしっかりと寄り添えていなかったなと今なら思います。
この時すでに、何もしたくなく・何を見ても面白いと思えない・家から出たくない・人と会いたくない・お風呂にすら入りたくない…などうつの症状が出始めていました。当時の私にはそんな状態の母のすべてを受け止めることはできず、どうしてあげればいいのかわからない…ただただいつも通りに接することしかできなかったです。でも確実に言えることは、私にとって家が憩いの場ではなくなってしまったと感じました。そしてそんな自分を薄情者だと責めました。
仕事で成果を出して、恋人と楽しい時間を過ごして、友人とワイワイ盛り上がって…どんなにその時は心が高揚していても家への帰路につくと私自身の心がざわざわし始める、自然とため息が出てしまい足取りが重くなる、そんな状態が続きました。
でもこのままではいけないと思い、母の心が少しでも軽くなるような書籍だったり映画だったりいろいろと勧めてみましたが、生気のない瞳で「ありがとう」と言われるだけで母の心には響きませんでした。母のメンタルが崩れたことで、家の中がどんよりとした曇り空になりました。
少しずつ少しずつ…トンネルの出口が見えてきた
母は約5年ほどつらい時期を過ごしました。その間は長い長いトンネルの中を歩いているような感覚で家族みんなが苦しみました。いつになったら光が見えるのか、空が晴れるのか…そんなことを考えながら過ごす毎日でしたが、父の希望で年2回家族旅行に出掛けました。旅行ではビデオカメラを回し旅行中の家族の笑顔を積極的にビデオに収めました。ビデオを撮ることで旅行から帰ってからも家族みんなで見たり思い出したりできました。
母に活力が戻ってきたきっかけが何だったのかハッキリはわかりませんが、普通の毎日に少しでも笑顔が増えるようなそんなアクションを小さくても起こすことは意識していました。
家族が苦しんでいる姿を見るのは本当に辛いし、その期間が長く続けば続くほど自分自身も疲弊してしまいます。おまけに私自身もそうだったのですが、なかなか友人にも相談しづらく1人で抱え込んでいました。何が正解で何が間違いなのかわからないからこそ出口が見えずにつらい毎日でしたが、あの日々があったからこそ心の健康について深く考えるようになりました。
育児でも仕事でも、誰かと比べてしまうことで自分を責めることが多くなるし、自分の存在価値がわからなくなることもあります。私は母のうつを通して、安定したお給料をもらえたとしても身体も心も健康でないと安定した生活は送れないということを学びました。
私もそうですが長い人生何をやっても上手くいかない八方塞に感じる時期ってありますよね。でもそんな時期こそ自分自身の存在を認め続け、毎日自分を褒めてあげようと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
最新記事 by とき (全て見る)
- 登校しぶりは突然に - 2022年12月30日
- いきなり始まった次男の吃音…どうしてどもってしまうんだろう - 2022年1月25日
- 行動自粛の今こそ!お家で夏祭りはいかがですか!? - 2021年8月22日
コメント